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By | July 15, 2026

初代は1905年に生まれ、1979年に亡くなった名女優です。 姉の夫で劇作家の、水谷竹紫 (ちくし)が設立した劇団芸術座で、幼少期から女優活動を開始。 演劇界の重鎮だった演出家の小山内薫に見出されると、帝劇公演『アンナ・カレーニナ』にヒロインの息子役で出演しました。 以降は『青い鳥』のチルチル役を始め、少年役を中心に活動。 1921年、『寒椿』で映画デビューを果たしました。 舞台では竹紫と共に活動していましたが、彼が亡くなると「新派劇」の井上正夫と行動を共にします。 新派劇は後で触れますが、「旧派」である歌舞伎に対する、新しい現代劇のことです。 水谷さんは新派劇の隆盛に尽力しながら、歌舞伎俳優の十四代守田勘彌 (もりた かんや)と結婚。 二代目の水谷さんは2人の娘で、本名は好重さんです。. 水谷 八重子 (みずたに やえこ)は、 新派 女優 の 名跡 の一つ。 作家 水谷竹紫 の義妹、1905-79年。 夫・ 十四代目守田勘彌 とのあいだに二代目を儲ける。 初代の娘、1939年- 。 2015年時点での当代。 二代目襲名以前は水谷良重として活動。

初代 水谷 八重子(みずたに やえこ、1905年8月1日 – 1979年10月1日)は、大正から昭和にかけての日本の女優。本名:松野 八重子(まつの やえこ)。位階は従四位。新劇から新派に入り、戦後は新派の屋台骨を支える大黒柱として日本の演劇界に重きをなした。

人物・来歴

新劇のころ

東京市牛込区神楽坂(現:東京都新宿区神楽坂)に、時計商の松野豊蔵・とめ夫妻の次女として生れる。八重子が数え二つのとき、姉の勢舞は作家の水谷竹紫(三菱神戸造船所所長水谷六郎の子)と結婚(勢舞には子供がなかった)したが、五つのときに父が死去したため、八重子は母とともに姉と義兄のもとに身を寄せることになった(姉と八重子の間に三人の兄弟がいたが、長兄亀太郎は八重子の生まれた年に十九歳で死去、次兄と三兄は夭折した)。

竹紫が劇団芸術座の設立に中心的な役割を果たしたこともあって、八重子もごく自然にもその舞台に立つようになった。1913年9月、島村抱月率いる芸術座は有楽座で「モンナ・ヴァンナ」と「内部」で旗揚げ公演し八重子は「内部」で初舞台を踏む。すぐに小山内薫に認められ、1916年には帝劇公演『アンナ・カレーニナ』で松井須磨子演じるアンナ役の息子役で出演する。

そして赤城小学校卒業、なお初舞台は本人は嫌だったが竹紫に一喝されて出たという。

1918年、雙葉高等女学校(現:雙葉高等学校)に入学するが、その後も1920年の民衆座公演『青い鳥』で兄のチルチル役を演じ、以後本格的に女優の道を歩むこととなる。この舞台で共演した友田恭助と親しくなり、二人で「わかもの座」という劇団を作り、野外劇などを上演する。その頃、畑中が監督として招かれていた国際活映から誘われ、1921年、畑中が監督した『寒椿』で井上正夫と共演し、映画デビューする。ただし雙葉高女から圧力がかかり、名前を出すことは不可ということになったので、「覆面令嬢」という匿名での出演となった。

雙葉高女を卒業後、「研究座」に入り、新劇、大衆劇双方から引っ張りだこになる。1923年9月1日の関東大震災後、義兄の水谷竹紫が第二次芸術座を1924年に創立すると、その中心メンバーとして活躍した。同年2月7日、「ドモ又の死」の初演。この頃の本名は水谷八重子だった。

千田是也は赤城小学校の1期上で言葉を交わす機会はなかったものの、千田のファンで千田がドイツに出発する当日に東京駅の見送りに出向いた。

1930年4月23日 – 27日まで三演目を宝塚大劇場で宝塚三組と合同で公演し花組との合同公演では「お夏笠物狂い」を水谷八重子が一人だけ加入して主役のお夏を演じたが、清十郎役は八重子の指名で奈良美也子が演じた。

その奈良美也子とは仲良しでワーちゃんが大好きだったと回想している。

1936年時点では水の也清美が八重子の姪であることは公表していなかったが1938年では衆知のこととされている。その清美は奈良美也子が八重子の姪ということで特に目をかけて指導した。

1935年、竹紫が死去。その間に井上正夫と一座を組んで本郷座で公演し、新派劇の隆盛に尽力する傍ら、松竹などから映画にも出演した。私生活でも1937年には十四代目守田勘彌と結婚し、2年後に一人娘の好重(のちの水谷良重)を儲けている。

母は1942年4月17日に78歳で死去。

新派劇へ

水谷八重子は1945年の解散まで第二次芸術座の屋台骨を支えた。空襲で自宅を焼かれ、終戦は静岡県熱海市で迎えて、この頃女優引退を考えていたが、松竹の大谷竹次郎社長に促され、1946年東京劇場に出演、舞台復帰を果たした。これ以後は、夫と共演したり、地方巡業に出たりもした。1949年、花柳章太郎らの「劇団新派」の結成に参加する。夫の守田勘彌とはのちに正式離婚、好重は八重子が引き取った。

以後、劇団の看板を花柳と共に支え、次々と名女形が没していったのちは、彼らの残した新派演目の女主人公の芸を継承した。また、新劇の演出家、菅原卓の指導の下、滝沢修、森雅之らと共演、新派劇と新劇の融合を目指した演劇の上演で注目された。

1962年、舞台『黒蜥蜴』直後にガンを発症。1965年には花柳が死去する。これらを契機として水谷は新派の舞台に専念するようになる。水谷良重や菅原謙次など若手俳優の相手役を務めながら、その育成に心血を注いだ。

以後度重なる癌の再発・転移という逆境を乗り越え、水谷は自身の舞台活動と新派の後続世代の指導に精進した。1973年には「舞台生活60年」を記念して自らの当たり役の中から10種を撰じて「八重子十種」として、翌年記念公演を持った。

1979年、乳癌が進行して公演中に倒れ、同年10月1日に東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。74歳没。従四位に叙された。墓所は築地本願寺和田堀廟所、戒名は水月院釈尼春光。

ニックネームはは「おかめ」「おたふく」だった。

八重子十種

以下一覧中、「初演」は初代八重子によるそれぞれの役の初演、「備考」であげた映画化作品は八重子が出演したもののみをあげた。

受賞・栄典

  • 1953年:NHK放送文化賞
  • 1956年:日本芸術院賞
  • 1957年:菊池寛賞
  • 1958年:紫綬褒章
  • 1963年:大阪府民芸術賞
  • 1966年:日本芸術院会員
  • 1971年:文化功労者
  • 1973年:朝日文化賞
  • 1975年:勲三等宝冠章
  • 1979年:従四位

文献

八重子自身の著書・写真集

  • 『女優の運命 私の履歴書』日本経済新聞社・日経ビジネス人文庫、2006年、文庫新版

他は東山千栄子・杉村春子・田中絹代・ミヤコ蝶々

  • 『水谷八重子 1974~1979』写真:松本徳彦、平凡社、1980年 – 追悼出版
  • 『水谷八重子』野口達二編、立風書房、1979年 – 大著で没する直前の8月に刊行
  • 『過ぎこしかた』日芸出版、1971年
  • 『松葉ぼたん 舞台ぐらし五十年』鶴書房、1966年
  • 『女優一代』読売新聞社、1966年
    • 『水谷八重子 女優一代』〈人間の記録〉日本図書センター、1997年 – 復刻新版
  • 『芸 ゆめ いのち』白水社、1956年
  • 『ふゆばら』学風書院、1955年
  • 編『竹紫記念』水谷八重子、1936年 – 私家版
  • 『舞台の合間に』演劇研究社、1932年

他の作家の著書

  • 川口松太郎『八重子抄』中央公論社、1981年年 – 友人の回想 
  • 井上ひさし『ある八重子物語』集英社、1992年/集英社文庫、1995年 – 新派ファンとしての戯曲
  • 井上ひさし・水谷良重『拝啓水谷八重子様 往復書簡』 集英社、1995年

脚注

外部リンク

  • 水谷八重子 – 日本映画データベース
  • 水谷八重子(初代) – NHK人物録


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初代・水谷八重子(1905~1979)1977年帝国ホテルにて。斎藤康一写真集「昭和の肖像」より

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舞台に命を捧げた水谷八重子 文春写真館 本の話

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それが、二代目水谷八重子さんという唯一無二の表現者です。 彼女が歩んできた八十数年の歳月は、単なる一女優の歴史ではなく、日本の演劇界そのものが流した涙と、情熱の結晶と言っても過言ではありません。. 基本情報 初代 水谷 八重子(しょだい みずたに やえこ、1905年8月1日 – 1979年10月1日)は、大正から昭和にかけての女優。 新劇から新派に入り、戦後は新派の屋台骨を支える大黒柱として日本の演劇界に重きをなした。 本名は松野 八重子(まつの やえこ)。